グループホームから~世話人さんの声~

 

ぎゅっと詰まったバラバラの家族

グループホームさくらば・主任支援員 秋山 美雪

 

 私が、法人に勤務して10年が経ちました。法人に勤務した頃は、家庭の事情で、とても辛い時期でした。理事長に何度となく退職の相談をしました。頑張っても頑張っても、度重なる不幸な出来事が襲ってきて、自暴自棄に陥り、理事長の前で恥ずかしいほど涙を流したことが昨日のことのようです。

理事長は、「気のすむまで休みなさい」と言って、1ヶ月近く、何も言わず、尼崎の妹宅に行かせてもらったことや、当時、杉本智男主任が「退職の日は、一緒やで」と励ましてくれたこと。(杉本主任は体調不良のため、一旦退職しましたが、必ず「ひだまり」に戻ってくれることを約束してくれました)

そして、何よりも、退職に踏み切れなかったのが、利用者の皆さんの「秋山さ~ん!」と呼びかけてくれる笑顔と声でした。

私は、両親を20代で、亡くしました。中学校を卒業して、兵庫県から奈良に来て、妹たちのために一生懸命働きました。そして、結婚して二人の娘に恵まれました。

訳あって、夫とは離婚いたしましたが、法人に勤務した頃、小学生だった上の娘は、社会人となって、元気に東京で働いています。3歳だった下の娘も、この4月から中学生になりました。二人とも、私の背丈を超えて大きく育ちました。

私は、今、グループホームの世話人をしています。4人の利用者の方と、1年の大半を一緒に生活しています。それぞれの家庭の事情、様々な障害と闘いながら、前を向いて生きる利用者さんの姿は、私にとって、「尊敬」の何物でもありません。

利用者さんと、私と娘と・・泣いたり、笑ったり・・それぞれが、苗字も違うバラバラ、年齢も違うバラバラ、考え方も違うバラバラ!1つ屋根の下に住むバラバラの家族です。

だけど、私達は弱さを絆に、どこの家族にも負けないほど、「愛」がぎゅっと詰まった家族です。私にとっては、かけがえのない宝物の家族になりました。

 

私には心配事があります。それは、理事長に相談した退職願いの数です。理事長は言います。「あの時、私が止めてなかったら、すでに退職していると思うから、退職金はなかったよね。将来、退職した時、秋山さんの退職金の権利は、半分、私のものやね・・。」と、ニコニコしながら恐ろしく迫ってきます。

私の退職まで、あと15年?20年?・・理事長の記憶から、私の退職願いの数と退職金のことが、消えていますように。

 

 

 

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